エルトゥールル号事件とは、1890年9月16日夜、明治天皇への親善使節を終えて帰途についたオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、和歌山県串本町の紀伊大島沖で台風に遭って沈没し、乗員600人超のうち587人が死亡、69人が島民の救助で生還した海難事故です。この出来事がトルコで「日本人が命がけで助けてくれた」記憶として130年以上語り継がれ、1985年のテヘラン邦人救出や2011年・2023年の地震での相互支援につながる、日本とトルコの友好の原点になっています。
2026年の今、串本には殉難碑とトルコ記念館があり、イスタンブールの海軍博物館には事件の資料が展示されています。トルコで「日本人です」と言うと高確率で「エルトゥールル」の名が返ってくるのは、この事件が小学校の教科書に載っているからです。
このページでは、事件の年表、救助と帰還の経緯、テヘラン救出との関係、映画、串本とイスタンブールの訪問ガイドをまとめます。日土関係全体はトルコと日本の関係・歴史、同名のドラマはDiriliş: Ertuğrul 作品ガイドへ。
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エルトゥールル号事件の年表
| 年月日 | 出来事 |
|---|---|
| 1887年 | 小松宮彰仁親王がイスタンブールを訪問し、スルタン・アブデュルハミト2世と会見。答礼使節派遣の契機に |
| 1889年7月14日 | 木造フリゲート艦エルトゥールル号、オスマン・パシャ提督のもとイスタンブールを出港。スエズ、インド洋経由で11か月の航海 |
| 1890年6月7日 | 横浜に入港。オスマン・パシャが明治天皇に謁見し、勲章と親書を奉呈 |
| 1890年9月15日 | コレラ流行と台風シーズンを懸念する日本側の助言にもかかわらず、横浜を出港 |
| 1890年9月16日夜 | 紀伊大島(串本町)樫野埼沖で台風に遭い、岩礁に激突して機関爆発、沈没。587人が死亡 |
| 1890年9月17日 | 樫野の村人が生存者69人を救助。負傷者の手当てと、乏しい食料の提供 |
| 1890年10月5日 | 生存者は軍艦「比叡」「金剛」で神戸を出港 |
| 1891年1月2日 | イスタンブールに到着。スルタンが日本の使節を厚遇 |
| 1891年 | 串本に最初の殉難碑。1937年に現在の慰霊碑が建立 |
| 1892年 | 義援金を集めた山田寅次郎がイスタンブールへ。約20年滞在し民間外交の礎に |
救助と帰還の経緯
事故の夜、樫野埼灯台の下の岩場にたどり着いた乗員が灯台守に発見され、村人が総出で救助にあたりました。当時の樫野は人口約400人の貧しい漁村で、村人は非常用の鶏や芋まで差し出して生存者を看護したと伝えられます。
- 救助された69人は神戸の病院へ移送され、日本政府の決定で軍艦「比叡」「金剛」がイスタンブールまで送り届けました。往路11か月だった航海を、約3か月で帰還しています。
- 遺体の収容と埋葬は村人と駆けつけた県職員が行い、現在の慰霊碑の場所に葬られました。
- 義援金は新聞各紙の呼びかけで全国から集まり、山田寅次郎がその一部を携えてイスタンブールへ渡りました。
- 慰霊祭は5年ごとに串本で行われ、トルコ大使や海軍が参列します。
なぜ事件は起きたか
| 要因 | 内容 |
|---|---|
| 艦の老朽化 | エルトゥールル号は1864年建造の木造艦で、長距離航海には不向きだった |
| 出港時期 | 9月の台風シーズン。日本側は延期を勧めたが、乗員のコレラ罹患や財政難で早期帰国を優先 |
| 燃料と速度 | 石炭と帆の併用で速度が遅く、暴風を避けられなかった |
| 財政難 | 当時のオスマン帝国は列強への債務で海軍予算が逼迫し、十分な整備ができなかった |
派遣の背景には、アブデュルハミト2世が「ヨーロッパの外で近代化を進めるアジアの国」として日本に関心を持ち、イスラム世界への威信回復を狙ったことがあります。当時の帝国の状況はオスマン帝国とは:衰退から共和国へ、同じスルタンを描いたドラマはPayitaht: Abdülhamidで紹介しています。
1985年テヘラン邦人救出との関係
1985年3月、イラン・イラク戦争中にイラクが「48時間後からイラン上空の航空機を無差別攻撃する」と宣言し、テヘランに残された日本人215人は脱出手段を失いました。日本の航空会社は安全を理由に救援機を出せず、各国の便も自国民で満席でした。
| 日時 | 出来事 |
|---|---|
| 1985年3月17日 | イラクが攻撃期限を通告 |
| 3月19日 | トルコ政府の決定でトルコ航空が救援機2機をテヘランへ派遣。日本人215人を乗せ、期限の約1時間前にイラン上空を離脱 |
| 同日 | 残るトルコ人約500人は陸路でトルコへ帰国 |
トルコの駐日大使は後に「エルトゥールル号の恩を忘れていない」と語り、日本ではこの救出をきっかけにエルトゥールル号事件が広く知られるようになりました。トルコ航空の現在の路線や利用法はターキッシュエアラインズ利用ガイドにまとめています。
その後の日土関係と映画『海難1890』
- 1924年:日本とトルコ共和国が国交樹立。2024年に100周年を迎えました。
- 1975年:串本町とトルコ南部メルスィン市が姉妹都市に。串本には「トルコ記念館」が1974年に開館。
- 2011年:東日本大震災でトルコの救助隊が宮城で活動。同年10月のトルコ東部ヴァン地震では日本の支援団体が活動し、余震で犠牲になった日本人ボランティアの名が現地の公園に残されています。
- 2015年:日土合作映画『海難1890』(田中光敏監督、内野聖陽・忽那汐里・ケナン・エジェ出演)が公開。エルトゥールル号事件とテヘラン救出を一つの物語に。
- 2023年:トルコ南東部地震で日本の国際緊急援助隊が活動。
トルコで日本人が温かく迎えられる背景には、こうした積み重ねがあります。旅先で出会うトルコ人との会話の糸口として、エルトゥールルと「海難1890」の名前を覚えておくと話が弾みます。
串本の記念地を訪ねる(2026年10月目安)
| 場所 | 内容 | 行き方 | 料金 |
|---|---|---|---|
| トルコ軍艦遭難慰霊碑 | 1937年建立の慰霊碑。樫野埼灯台のそば | JR串本駅から車・バスで約20分(くしもと大橋経由) | 無料 |
| トルコ記念館 | 遺品、艦の模型、事件の資料。1974年開館 | 慰霊碑の隣 | 大人¥500前後 |
| 樫野埼灯台 | 1870年完成の日本最古級の石造灯台。遭難現場を見下ろす | 慰霊碑から徒歩5分 | 無料 |
| 日米修交記念館 | 1791年の米国船来航の記念館。同じ大島にある | 車5分 | ¥250前後 |
大阪からは特急で串本まで約3時間、東京からは南紀白浜空港経由が便利です。慰霊碑周辺にはトルコの土産物店もあり、トルコ旅行の前後に立ち寄る日本人も増えています。
イスタンブールで訪れられる場所
| 場所 | 内容 | 行き方 | 料金目安 |
|---|---|---|---|
| 海軍博物館(デニズ・ミュゼスィ、ベシクタシュ) | エルトゥールル号関連の資料と、オスマン海軍の御座船コレクション | トラムT1「Kabataş」から徒歩10分、またはフェリー「Beşiktaş」すぐ | €5〜10(目安)。月曜休館 |
| バルタリマヌ日本庭園 | 姉妹都市・下関市との友好を記念した日本庭園。桜の季節が美しい | ボスポラス沿い、バス25E・40 | 無料 |
| ユルドゥズ宮殿 | 派遣を命じたアブデュルハミト2世の居城。2024年公開 | ベシクタシュから徒歩15分 | €10〜20(目安) |
| ドルマバフチェ宮殿 | 小松宮が謁見した宮殿 | トラム「Kabataş」徒歩5分 | €45、月曜休館 |
これらはすべてベシクタシュ周辺に集まっており、半日で回れます。ドルマバフチェの詳細はドルマバフチェ宮殿完全ガイド、海沿いのエリアはボスポラス海峡沿岸ガイドを参照してください。日本からの行き方は日本からトルコまで何時間?へ。
よくある質問
エルトゥールル号事件とは何ですか?+
1890年9月16日、明治天皇への親善使節を終えて帰途についたオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、和歌山県串本町の紀伊大島沖で台風に遭い沈没した海難事故です。587人が死亡し、69人が島民の救助で生還、日本の軍艦でイスタンブールへ送り届けられました。日本とトルコの友好の原点とされます。
なぜトルコ人は今でもこの事件を知っているのですか?+
トルコでは小学校の教科書に載っており、「貧しい漁村の人々が自分の食料を差し出して助けてくれた」物語として国民的に共有されています。1985年のテヘラン邦人救出の際、トルコ側が「エルトゥールルの恩返し」と語ったことで、日本でも広く知られるようになりました。
テヘラン邦人救出とはどんな出来事ですか?+
1985年3月、イラン・イラク戦争中にイラクが48時間後からイラン上空の航空機を攻撃すると宣言し、テヘランの日本人215人が孤立しました。日本の救援機が飛べない中、トルコ政府がトルコ航空の救援機2機を派遣し、期限の約1時間前に日本人全員を脱出させました。
映画『海難1890』はどこで観られますか?+
2015年公開の日本・トルコ合作映画で、DVD・Blu-rayが販売されているほか、定額配信サービスでも配信されることがあります(2026年10月時点・変動あり)。エルトゥールル号事件とテヘラン救出を一つの物語として描いており、トルコ旅行の前に観ると現地の人との会話が弾みます。
串本の慰霊碑への行き方は?+
JR串本駅から車かバスで約20分、紀伊大島の樫野埼灯台のそばにあります。大阪から特急で串本まで約3時間です。隣接するトルコ記念館(大人¥500前後)に遺品や艦の模型が展示され、5年ごとの慰霊祭にはトルコ大使や海軍が参列します。
イスタンブールで事件に関係する場所はありますか?+
ベシクタシュの海軍博物館にエルトゥールル号関連の資料が展示されています(€5〜10目安、月曜休館)。派遣を命じたアブデュルハミト2世のユルドゥズ宮殿、小松宮が謁見したドルマバフチェ宮殿も近く、半日で回れます。
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